- 2022.11.02
- 花言葉
花言葉15
先日、フラワーライブを行った時のことです。
お題目は『哀しみ』という内容でさせて頂きました。
前々回に行ったライブにも来てくれていた方が、今回のライブの後に話をしてくれました。
「前のライブの方が哀しかったですね。今回は8割といった感じです」
彼は、そのようなことを言ってくれました。
とても面白いなと思って聞いていました。
たぶんこれは、表現や感動といった言葉の理解の話だと僕は思いました。
以前に花言葉で書きましたが、花は表現手法であり、表現はコミュニケーションであると僕は考えています。
その表現の前段階に、感受したものがあり、それを感受した感覚があると思います。
10割が正解のように彼は考えていないかな、とその時に考えていました。
彼の言葉で分かるのですが、『哀しみ』を感じたことを前提に彼は話しています。
表現は行われているのに、彼は別のものを見ていることに気付きます。
彼は、表現に達成感を求めているのかとも思いました。
最近、思うのですが、『表現』というものに気付いてから初めて『表現』という筋肉に出会う、と。
いくら『表現』を鍛えようとしても、そもそも表現筋がどこにあるのかやどのようなものかが
見えていないので、鍛え方が分かりません。
下半身の筋肉を鍛えたいのに、ずっと腕立て伏せをしている状態と言いますか。
『表現』というものに気付いてから初めて『表現』というものに出会う。
それは、情けないことではなくて、今から生きる時間の可能性に出会えた瞬間だと思います。
物事を点で捉えて、その点の中の達成感を追い求めていては出会えない
時間の可能性があると僕は感じています。
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