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三重県津市 花屋 chelban [シェルバン] 夜と葉桜と雨
  • 生活の花

夜と葉桜と雨

雨が降っている朝のことだった。

 

通勤に車を走らせていると、桜並木が連なる道を通る。

もう桜の花も散り散りになり、葉桜となってきた時期のことだ。

 

雨には、思い出がある。

お店を開店した年の冬のこと。お客さんが誰も来ない雨の日に、ウィンドウディスプレイのガラスを見ていた。

 

水滴がガラスについてるのを、ずっと眺めていた。

酷く静かで、雨の音が聴こえていて、寒々しく、しっとりとして凪いでいる。そして、その時の気持ちは言い表しにくいのだが、今の自分の言葉で書くなら、穏やかな不安と言える。

 

店内には、CDプレイヤーからTristan PrettymanのTwentythreeというアルバムが流れていた。

そんな冬の寒い日に、ずっと窓に滴る雨を見ながら1日を過ごした記憶がある。

 

雨の日に車を走らせていると、フロントウィンドウに水滴が細かく跡をつける。時折、ワイパーが動き、その水滴を流していく。

信号で停車させると、溜まった水滴がゆっくりと滴り落ち、線を縦に描く。

 

太陽の光は、空を覆う雲の中で広がり、一切の空が白らんでいる。雨の日には、膜がある。空気や総ての景色に膜がある。

空も、空気も、ウィンドウも、何から何まで白を含んだ膜に包まれている。

雨の日は、夏であろうが冬であろうが、季節に関係なく、いつも寒々しく、しっとりとして凪いでいる。

 

この年齢になって、夜の美しさを感じてきた。

日中の感性というものは、視覚の話が多くなりがちだ。

その範疇で美しさの話をしても、それ以外の部分はどんどんと零れ落ちて、新鮮な感覚は劣化していく。

空の色、木々や花の色、姿形など、日中の感性というものでしか話せないのは偏っているなと自分自身に思う。

光や陰が話の前提としてあるなと感じられるのが、日中の感性というものだ。

 

前に書いた随筆の中に、豊かな沈黙という言葉を使ったが、これは日中の感性にも夜の感性にも同様にある。

そして、この豊かな沈黙と出会い、答えざるを得ない沈黙へと自己都合の為に変えてしまう。

答えざるを得ない沈黙の前に立っている。

日中の感性は、活動の感性だと思う。反応や反射、動く感性であるように思う。

生命力とは代謝のことを述べている。同化と異化の二つの働きの延長線上で生じる活動を観て、人はエネルギーを感じる。日中の感性だ。

 

夜の感性について今の言葉で言うのならば、包まれていると言えば少しは近い。

夜は、よくよく見れば黒色ではない。何色でもなく、夜なのだ。

 

帰り道に商店街を通り、駐車場まで歩く。

夜に、雨が降っていた。

 

夜の雨は、奇妙だ。

日中は、雨を視ているというより光が視えているという感じ。

夜は、雨など視えていない。

足下の水たまりに細かく跳ねて、波紋がちいさく起こる。

身体にふれて、雨を実感する。

 

日中の感性で捉えたら、雨が視えていないのに、まるで視えているようにしている。

 

僕は、何かしら感じた違和感を不思議という言葉で話すことがある。

奇妙、不思議。

 

夜桜は灯りが趣を添えるものだと思うが、灯りのない夜桜が花弁散り散りに降ってきて、身体にふれて、夜桜を実感するような

 

そんな夜も好ましいな、と思った。

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