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三重県津市 花屋 chelban [シェルバン] 短編『小泥棒と絵描きの詩』
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短編『小泥棒と絵描きの詩』

小泥棒と絵描きの詩

 

 

いつも雪が降っていました。

 

あまりにも雪ばかりが降っているので、いつの間にか、いつ生まれたのかも忘れてしまいました。

 

流れ続ける雪の調べから離れるように山を駆けていました。

 

雪が下りると、より一層のこと食物を獲るのが難しくなっていきます。

 

雪鳥が雪の上で少ない餌を奪い合い、争っている様子もよく見かけられました。

 

オオマシコという撫子色の羽毛の鳥がいました。

 

怪我をしたのか雪の中で小さく羽を丸めていました。

 

木の陰から様子を見ていると番いなのかもう一羽が傍に下りてきました。

 

二羽が肩を寄せて温めあっています。

 

その姿を見ていると、何故だか、この木の陰に縛り付けられたかのように動くことができませんでした。

 

ひどく寒さを感じたのを覚えています。

 

目をやると、見ている自分のことが醜かったり嫌らしかったり感じられ、

 

目を背けると、自分のことが情けなく感じられました。

 

自分の首元から背中にかけて、ぽっかりと空洞があるように思われました。

 

その空洞を冷たい雪風が抜けていくのです。

 

恨みなどなく、怒りなどなく、勿論、空腹などもなく、

 

ただただ理由も分からずに、気付けば二羽を食べてしまいました。

 

その時から今日に至るまでずっと寒さが辛く感じられます。

 

後悔を食べてしまったことに気付きました。

 

ずっと腸の中にしがみついて、この先二度と外に出てはいけないものを食べてしまったのです。

 

・・・・・・・・・・

 

まっ白な風景でした。

 

その銀世界に線を描くかのように、横切る列車の姿は、まるでオリオンまで向かう銀河鉄道の如くです。

 

列車が横切り、粉雪が舞ったその風景のあとを更に横切るのは。ただの一匹だけです。

 

この雪原を駆ける一匹の名を夜としましょう。

 

夜は、ずっと先の雪の丘に立つ山茶花に会いに往く為に、今、駆けているのです。

 

花の命は儚くも短く、咲いているその間だけ現世に留まることが許されているようです。

 

散れば彼岸に旅立ち、又、花の咲く頃に戻ってくるのです。

 

そして、山茶花も旅立つ時が近づいていました。

 

 

 

ある冬の日に、夜は山茶花と出会いました。

 

雪の丘に一本だけ立つ山茶花は、とても静かな生き物でした。穏やかで、何も求めず、静かにそこに立っているだけです。

 

「こんにちは。どうしたのですか?ひどく寒そうですね」

 

「寒いです。何が寒いかって、胸の中にこの雪の景色があるような感じです」

 

夜は、オオマシコのことを山茶花に話しました。

 

「何故、食べてしまったのか分かりません。私は何故あんなにも可愛らしい雪鳥達を食べてしまったのでしょうか」

 

山茶花は言いました。

 

「こんな辺りに何もなく、静かに下りる雪に音もなく、そんな景色の中にいると、

 

雪の風景に心の色が溶け込むような気持ちがします。目をつむると何が見えますか?」

 

「雪の風景が見えます」。 夜は答えました。

 

「他には何が見えますか?」

 

「何も見えません」

 

「オオマシコはいますか?」

 

「あっ、オオマシコが二羽います」

 

「そうですか。それでは目を開けて下さい。今は何が見えますか?」

 

「山茶花がいます」

 

「ありがとう。私はもっと寒さが際立って堪えられなくなる頃には旅立ってしまうのだけれども、

 

それまでの間、私と友達になってくれませんか。私に何かしてくれということではなくて、

 

ただ今日と同じように目をつぶって見えるものの話なんてするだけで良いのです。どうでしょうか」

 

夜は少し考えてから「分かりました」と答えました。

 

山茶花はそれを聞くと、「ありがとう」と言いました。

 

山茶花は言いました。「私がいつか嘘をつくようなことがあっても、私のことを嫌わないで下さい」

 

次の日もその次の日も、夜は山茶花に会いに丘の上に行きました。

 

「山茶花はもうすぐ旅立ってしまいますか」 夜は、山茶花に訊きました。

 

「まだしばらくはこちらに居ます。大丈夫ですよ。それよりも今日もまた目をつむって話をしましょう。何が見えますか」

 

「雪の風景とオオマシコが見えます」

 

「オオマシコは何を思っていますか」

 

「分かりません」と夜は答えました。

 

「ありがとう。私が旅立つ時に、あなたはもう一度オオマシコに会うことが出来るでしょう。

 

その時には分かるかもしれませんね。その時までは、私はあなたを残して旅立つことはしません。約束です」

 

山茶花は言いました。

 

それから何日も、夜は山茶花の元に通いました。

 

その内に、山茶花が今日こそは旅立ってしまうのではないかと、だんだんと心配になるようになってきました。

 

山茶花と過ごす時間が多くなるにつれ、その気持ちは積もっていきました。

 

夜は何度も山茶花に訊き、山茶花はいつも「大丈夫」と答えました。

 

 

 

平生よりも寒い日が訪れました。

 

朝、目覚めると直ぐに山茶花のことが頭を過ぎりました。気が付くと、夜は雪原を駆けていました。

 

「こんな寒い日にどこに行くんだい」

 

駆けていく道の脇には、椿の木々達が立ち並んでいました。

 

白い肌に濃青の堅い葉を幾重にも広げ、小さくつぼんだ蕾をてんてんてんとおき、

 

開いた蘇芳の花びらからは黄色い花芯を覗かせています。

 

「山茶花に会いに行きます」

 

夜が立ち止まると、椿達は口々に言いました。

 

「山茶花に会いに行くのかい」

 

「きっと山茶花はもう散ってしまっているよ」

 

「又、霜月まではやってこまい。旅立ってしまったのだから、どうしようも会えないだろう」

 

そう言って、椿がぶるぶると身を揺らせると、雪が落ちていきました。

 

「そんなことはない。山茶花は約束したのだから。まだここに居ると約束したのだから、山茶花が旅立つはずがない」

 

夜は駆けました。蹴り上げた雪が宙に舞い、駆けた後から風となり、雪を散らしました。

 

風に乗って追いかけてくるように、椿の言葉は夜の耳についてきました。

 

「僕達も又、咲いては落ち、又、咲いては落ちるものだから、山茶花がどんなにか留まりたくても、又月日が巡るまでは会えないのさ」

 

風が止むと、粉雪がゆるりゆるりと辺りに下りていきました。

 

遠くの方まで雪の白が広がっていて、その白の景色にかかるように目の前を更にまた粉雪が音もなく落ちていきます。

 

染み入るとはこういうことでしょうか。

 

積もった雪の上に落ちた雪は、入っていくように、戻っていくように、一つになって元ある玉のような姿を消していきました。

 

遠くには、雪帽子を被った山々が連なっています。

 

早く山茶花の元に行かなければと、夜は駆けていきました。

 

 

 

 

見上げれば、雪の丘の上に山茶花がいます。

 

まっ白な雪の上に撫子色の花びらが散らばっていました。

 

風が、花びらと共に雪を舞わせました。

 

「あぁっ」、夜は涙をこぼしました。

 

山茶花の足元で雪に広がる花びらが、その景色が、まるで山茶花が血を流しているように見えたからです。

 

「あぁ、この空から降る雪のように、落ちては消えるを繰り返す雪の粒達のように全てが消えていく」

 

そうか、そうだったのか。

 

その瞬間、雪の上に落ちた撫子色の花びらが、あの時のオオマシコの羽に見えました。

 

そうだったのだ。

 

あの番いのオオマシコ達は、お互いを大切に思って慈しんでいたのだ。

 

胸の中に大切な者がいる。

 

あぁ、今なら分かる。あの時のオオマシコの気持ちは、山茶花を思う私の気持ちだ。

 

山茶花の葉が音を流しました。花びらは散ってしまい、たった一片の花びらがかすかに揺れています。

 

「山茶花、行かないで。私を残して旅立たないで」

 

夜は、叫ぶように言いました。

 

最後の一片の花びらは、簡単に離れ、ゆっくりと雪の中に落ちていきました。

 

 

淡々と、雪が降っていきます。

 

まっ白な風景でした。

 

 

・・・・・・・・・・

 

目をつむった暗闇の中に、その風景の中に誰かを描きます。

 

嘘つきは泥棒の始まりという言葉があるのなら、大丈夫と答えた私のような嘘つきを小泥棒とでも呼びましょうか。

 

生きることは、心に誰かを描くこと。

 

大切な誰かを心に描く、あなたがそんな絵描きであってほしいと思います。

 

▢あとがき

『小泥棒と絵描きの詩』は、2021年に書いたお話です。

その時に『三茶花(さざんか)』という作品展示の会を開きました。

来場して下さった方が会場にてお話を読んで頂けるように、展示内容に合わせて書きました。

今回のお話を書いている時は、白い画用紙に色を入れるようにお話を書けたらと考えていました。

 

最近のことですが、僕は満開の花の素晴らしさに出会いました。

以前からも綺麗だなとは思ってはいましたが、今、僕の心と満開の花が重なっていくように感じられます。

満開の花は、生命力の極限地点のように思われます。

あとは散るのみというところまで開ききった花の魅力。

それは、大らかでいて、潔い姿だと僕は感じています。

一切の未練なく、散りゆく花弁にも広がる本懐の余韻。

これが、僕が感じている満開の花の魅力です。

 

満開の花は、今、高らかに笑い声をあげています。

放たれた花弁は、誰にも留められることなく

風に舞い、地に広がり、水に浮かび、流れていきます。

手のひらにどれだけおさめようとも、この本懐を留めることは出来ません。

 

今はもう桜が散ってしまったのですが、人が一生に桜を見れる回数を考えてみるととても面白いです。

100年生きたとして、一年に一回桜を見たとしても最大で見れる回数はたった100回です。

ここで誰と桜を見るかを考えてみると、一緒に桜を見れる回数は人生でそんなに多くないことに気付きます。

同じ木から来年咲く花は、本当に去年と同じだと言えるでしょうか。

よくよく見れば、それは全く違うものだと思います。

ここに、花の魅力があるのだと僕は思います。

 

生命を感じるとは、時間にリアリティを感じるということだと僕は考えています。

太陽や月、星座を見ようとも、時計を見ようとも、カレンダーを見ようとも、感じられないリアリティを伴った生命の時間。

人間は自分以外の生命の様子を観ることで、時間にリアリティを感じることが出来ます。

暦も時計もない時代、時間というリアリティを伝える手段として花は重要な役割を果たしていたのではないかと僕は思います。

 

一人で見る花も良いですが、誰かと見る花はとても良いものです。

 

最後まで読んで頂いて、有難う御座いました。

 

 

 

 

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